8月、S銀行はIに調査チームを派遣して内部調査に着手し、イトマンの再建に乗り出しました。 新たなる修羅場、I事件企画部長の5年間は、バブル経済の発生とその破綻の時期にほぼ重なります.S銀行も随分と痛手を受けましたね。
もともとIの借入金に占めるS銀行の割合は2割程度で、Iの無謀な投資を支えた金融機関はほかにありました。 河村社長はS銀行の元常務で、石油ショックでIが経営不振に陥った際に、建て直しのために、S銀行から送り出されたという経緯がありました。
Iの救済を中心になって担うのは、やはりS銀行しかなかったのです。 最終的には、1993年に住金物産がIを吸収合併するまでにこぎつけました。
安宅産業のときと同様、住金物産が引き受けなかった不良資産の部分は評価を引き下げて会社から切り離し、安宅処理のメンバーが中心になって処理にあたることになりました。 バブル経済崩壊後、地価の大幅下落.激しい資産デフレが進行したこともあり、処理はかなり難渋しました。
現実は違いました。 例によって、修羅場になるのが避けられないような厄介な一件は、まにか、中心になって、問題の処理に取り組むようになりました。
いや、そうではない。 そのような問題の解決を任されそうになった際、私は、「そんな仕事はやりたくないな」とは決して思わない。

負けん気がそうさせるのでしょうし、使命感もあります。 「何としても、これを打開しなければならない」「これをやり遂げなければいけない」という気持ちになります。
ただI問題のときは、問題の原因・性質からして、安宅処理のときほどの使命感はなく、強かったのは、とにかくS銀行を守らなければならないという切実な思いでした。 その意味でもI問題の処理は厳しいところがありました。
その後、企画部門を担当したままで、専務、副頭取まで昇格させていただきました。 本来の企画部門の仕事に加えて、Iの債務処理、バブル崩壊に伴う不良債権処理と、やらなければならないことは山のようにありました。
我ながら、ほんとうによく働いたことして指導を仰いできたIさんも、このとき、S銀行を去りました。 しかない、という心境ですか。
当時、不良債権処理のためには、保有株式の含み益を使う、いわゆる「益出し」という経理処理がよく使われました。 ただ、これを続けると、保有株式の簿価はどんどん膨れ上がり、株価が下落すると大変な評価損が発生することになります。
だからといって、不良債権処理を先送りにすることはできません。 そこで私は、「赤字決算を断行しましょう」と当時の森川敏雄頭取に進言しました。
頭取は受け入れてくれました。 巽会長の了解も得ました。
思います。 ともかく、これらを解決してS銀行をトップバンクにもっていくことが私の強い願いでした。

ところが、赤字決算を決意したあと、さらに大変なことが発生しました。 阪神淡路大震災です。
多くの人命を奪う悲劇的な出来事でしたが、同時に、経済にも多大な衝撃を与えました。 株価は軒並み大暴落しました。
株式市場がそのような状況の中で、赤字予想を発表したら何が起きるか、誰も予想がつかない。 また「世の中がどう受け止めるか、なかなか厳しい状態にある」と心配する声もあり、私たちは、決算予想の修正発表を当初の予定よりも遅らせることにしました。
結果としては、S銀行が単独で赤字決算に踏み切ったことに対して、株式市場はきわめて好意的な反応を示してくれました。 これで邦銀全体の不良債権処理が進むと判断したのです。
体的に回復に向かいました。 赤字決算に踏み切らなかった他の銀行の株価まで値上がりしました。
「何が起きるか、分からない」という心配は杷憂にすぎなかった。 重要なのは即断とスピード当時とすれば、銀行の赤字決算はほとんどあり得ないことでした.心配するそうとも言えますね。
私はいつも即断即決なので、「大丈夫なのか」と心配する向きもありました。 私としても、ただ独断で、根拠なしに決めているわけではありません。

大事なところだけチェックしたら、あとはある意味直感的に即断することが大切ではないでしょうか。 あれこれ考えても坪が明かないことはたくさんあります。
世の中には、考えていれば仕事をしていると思っている人もいる。 勘違いです。
重要なのは、いちはやく結論を出すということです。 拙速はいけませんが、やはりトップに求められるものはスピードです。
常に印象的でした。 大願成就という気持ちだったのでしょうか。
声があがるのも当然かと思いますが。 いや、正直に言って、副頭取になったとき、「銀行員生活もこれで最後かな」という思いがありました。
まさか、頭取にまでなれるとは思わなかった。 私は安宅問題やI事件など、S銀行にとって重大な案件の処理に携わってきましたし、企画部という経営の中枢部門にも長く在籍しました。
これまでお話ししてきたように、それまでのキャリアの中で、いわゆる銀行員らしい仕事はほとんどしてこなかった。 営業のような花形の仕事を経験したこともありません。
さまざまな関係で知り合った方々はいますが、大企業のお客さんなどは、ほんとうの意味では、それほど広くは知らなかった。 だからこそ、就任直後の記者会見で、頭取になった感想を聞かれて、「男子の本懐です」という言葉が口をついたのです。
それに続いて、私は「これからS銀行は信頼度ナンバーワン銀行を目指します。 ここ数年間、ウチはナンバーワンという言葉を使ってこなかった。
これからは日本一を目指します」といいました。 目の前には、まだ難問が立ち塞がっていましたが、何としても解決してS銀行をトップバンクにしたいという思いでした。

そうですね、当時の銀行の雰囲気は必ずしもよくなかった。 不良債権問題、なかんずくみなさんに非常に嫌な思いをさせてしまったI事件などで、沈滞ムードが深まっていました。
その頃、行内には、不良債権を発生させた反省として、融資で絶対に焦げ付きをつくってはいけない、絶対に貸し金でロスを出してはいけないという考えが蔓延していました。 それではリスクテイクなどできるわけがありませんし、結果としてリターンも得られない。
たとえば融資において、不良債権の発生を絶対にゼロにすることは、非現実的です。 完全にゼロにはできないという前提に立って、リスクの度合いに応じてグレードを分け、それに応じたリターン、金利を頂戴する。
つまり、リスクの大きいところには高い金利を、リスクの小さいところには低い金利を提供するというリスク・リターンの関係を明確するすべてのリスクをプールする。 そうすることによって、発生したロスをプールの中でカバーしていく。
それがあるべき融資の形です。 このような考え方をせず、「絶対に不良債権ゼロ」などとばかり言っていたら、融資はトリプルA、すなわち、最優良企業だけにしかできなくなってしまいます。
それでは銀行も融資を受けたい企業も、拡大発展していくことができません。 もちろん、無謬主義を排し、リスクを取らないという呪縛から解放されるには、勇気が要ります。
実際、初めの頃は、行内でも「おかしなことを言うな」という顔をされました。 私は、全職員をチアアップしてモチベーションを高く持ってもらうために、内部改革を敢行しました。

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